2017.07.17
このコラムで何度も登場の「現代の木接太夫」(兵庫県宝塚市山本が園芸基地になる機会を作ったとされる接ぎ木の名人、坂上頼泰1515-97で豊臣秀吉により木接太夫の称号が与えられたとされる。)ともいうべき松井努さんが、7月11日夕方自宅の畑でハスの手入れをしていて亡くなられました。数日前にヨーロッパアルプスで高山植物の観察から帰国後のことでした。若い頃から大阪市立大学理学部附属植物園(私市)の温室で、熱帯植物の専門家で咲くやこの花館の立ち上げもされた同附属植物園の故立花吉茂先生の元で最新技術をはじめオリジナリティに満ちた知識を習得されてきました。もう20年以上前、附属植物園時代に日本植物園協会の勉強会に毎回休暇をとり自費で参加されている熱心な姿が焼き付いていました。附属植物園の勤務の終了の63歳の時に咲くやこの花館で共に仕事をとお願いしていました。2008年から水を得た魚のように手入れを開始、花の咲かない,果実のならない熱帯花木や果樹を、環状剝皮や枝や根の調整の技術で形よくリフォーム、1~3年後には花や果実もふんだんに付き始めました。最近では数多く実のなるミラクルフルーツ、ライチー、カカオノキ、ローソクノキ、立派な果実のマンゴ、パラミツ、目の高さで花の咲くアフリカバオバブ、フニーバオバブ、トックリキワタ、ジャカランダ、カエンボクなど植物の特性を長年の経験、努力、根気で読み取ってこられました。農業経験も豊かで、役立つ広場での野菜作りの指導は全て彼が行ってきました。ファンも多く、各地の植物園から技術の習得に訪ねてこられることもしばしば、今回も来館予定の広島の植物園にお断りの電話をさせて貰いました。
職員も彼から学ぶことが多く、まだまだ教えを乞いたいものが沢山ありました。亡くなる前日にも私と来年のバレンタイン時のカカオの状態をどうしたら最適の実りになるかを打ち合わせました。
今まで当館で開花したことのない植物があります。それはショクダイコンニャク(オバケコンニャク)で、栽培をしている場所を通る度に、「それが咲くまでは仕事が辞められないよ」との彼の言葉を思い出すことになるでしょう。何とか夢を叶えたいものです。
9年間の松井さんの功績は咲くやこの花館を大きく進化させてくれました。本当に残念ですが、咲くやこの花館を見守って下さい。