名誉館長の部屋

キュー植物園と当館で「蘭花譜」展示

2018.12.06

京の街のまんなか、京都寺町美術通りの愛称のある寺町通りに面して、明治24年(1891年)創業の芸艸堂(うんそうどう)は店舗と版木用倉庫を構えてられます。そこには版木がぎっしりと、10万枚はあるだろうと、その中に最近復刻された「蘭花譜」12枚の版木も積まれていました。倉庫内をよく見ると、他にも花の版木が見られます。現在も花の木版画として販売されているもので、河原崎奨堂氏他の原画によるものだそうです。落款印で奨堂というのを思い出しました。45年前に、京都で入手、イギリスのキュー植物園で活躍されていたオーストラリア人のボタニカルアーティストのマーガレット ストーンズ(Margaret Stones)さんや、プラントハンターのジョージ シェリフ(George Sherriff)さんの奥さん、ベティ シェリフさんにプレゼントした木版画がまさにこの方の絵の版画で、芸艸堂のものだったのです。

芸艸堂の井上孝一様、早光照子様に案内、解説をしていただき、筆で描くより手間のかかるものもある木版画の奥の深さと、日本人の細やかさには驚かされました。

京の芸艸堂

「蘭花譜」は、洋ランに取りつかれた大阪市中央区高麗橋生まれの実業家加賀正太郎氏が推し進めた、氏の栽培の洋ランの版画集です。淀川沿いの京都府大山崎に加賀氏が温室を建築したのが1917年(大正6年)頃、当時高価で入手も難しかった洋ランの人工交配品種など、1140(品)種、約10000鉢を輸入、栽培がされました。これは日本初の洋ランの大コレクションでした。その加賀氏が1935年(昭和10年)頃から魅力的なラン104点を選び、83点(84点と言われるが1点は詳しく見ると版画ではないそうです。)は木版画で、カラー印刷図版14点、モノクロ写真図版7点の「蘭花譜」の刊行をついに1946年(昭和21年)に行われました。

下絵は、加賀氏が選ばれた池田瑞月氏という無名の日本画家によりその殆どが描かれました。当時は版画を扱うところがまだありましたが、戦争中とあって和紙の入手困難、絵師の他界や刷師が空襲で不明にとか、ついに温室が燃料不足でランが枯死と、途方もない苦労の末、木版画が出来上がりました。1点の木版画に版木を10~20枚用意、同じ色の重ね塗りなど、正確な色を出すために、多いものでは200回も刷り重ねたそうで、良質の和紙でなければ叶わない作業だったそうです。芸艸堂には偶然12枚分の版木が残っていましたが、残りは恐らくラン栽培の暖房用の薪に化けてしまったのだろうと井上氏は話されます。12点の木版画再版に、ヤマザクラでできた版木の調整など2年を要したそうです。1mmの誤差も許されません。再版に使用された和紙は人間国宝の岩野市兵衛氏が漉かれたそうです。

 実業家でラン愛好家の功績ともいうべき大切な「蘭花譜」を今回ご紹介することができました。

うず高く積み上げられた版木
店内と案内いただいたお二人
蘭花譜の版木

蘭花譜の版木

前述のようにロンドンの王立キュー植物園でのランの花の出会いが、加賀氏をランの虜にしましたが、その思い出の植物園で、「蘭花譜展」が開催されています。2018年10月6日~2019年3月17日までの素晴らしい日英の交流です。

今回のキュー植物園での展示に動かされ、加賀氏の地元の大阪の植物園として何とかしたいと思いました。しかもキュー植物園での展示会催行に大きな働きをされた大阪の元NHKの大塚融氏が、キュー植物園で一年学んだ私にコンタクトされてきたこともあります。すぐさま親しい萩原俊彦氏にお話をさせて貰いました。地元の方にも親しんでいただきたい、数年がかりのイギリスでの催行準備、大阪では2週間余りで準備は整いました。2018年11月20日~2019年2月28日(除く1月29日~2月12日、2月22-25日)各回15作品、3週毎入れ替えで展示会を企画させていただきました。

今回の展示は宇治市の株式会社「智光」の会長萩原俊彦氏からの「蘭花譜」借用により実現しました。あつくお礼を申し上げます。(同社は咲くやこの花館でミュージアムショップの運営にご尽力いただいています。)

 

一枚の版木に何度も重ね刷りも
白い突起物は「枕」と言い、他の色がつくのを防ぐそうです
板の角には紙のずれを防ぐ「見当」、ずれると「見当違い」になり、この言葉を今では何にでも使っています。平賀源内の発案とも。

会場と関係者のみなさん

蘭花譜を借用した(株)智光の萩原俊彦氏(中央)
キュー植物園での「蘭花譜」紹介者のおひとり大塚融氏
「蘭花譜」展示風景

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