名誉館長の部屋

咲くやこの花館も梅の花

2019.04.03

新元号が「令和」に決まり話題になっています。万葉集(760年頃)の序文が典拠ですが、大伴旅人の邸宅(太宰府)に集まって宴会が開かれた際のことで、その序文は「折しも、初春の佳き月で、空気は清く澄みわたり、風はやわらかくそよいでいる。梅は佳人の鏡前の白粉のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香にように匂っている。」(『新版 万葉集 一 現代語訳付き・角川ソフィア文庫より) という意味だそうです。花好きの皇室の方々に相応しく、花を愛でる歌ということで、植物園としてもうれしい限りですが、咲くやこの花館の館名も同じように梅が詠われています。古今和歌集(905年頃)からの引用で、王仁の作とされる和歌、「難波津に  咲くやこの花  冬ごもり  今は春べと  咲くやこの花」に因みます。分かりやすい表現では「難波津(なにわづ)に、咲いたよこの花が。冬の間は籠っていて、今はもう春になったというわけで、咲いたよこの花が」となります。古い時代のウメは野梅系の白花一重の素朴なものだったでしょう。そして中国からの導入品と考えられています。

 

舶来のウメがサクラより先に親しまれる

時代を下りますが、花を愛でる文化が古くより定着している日本の姿を見て驚きを禁じえなかったのは英国人のプラントハンターのロバート・フォーチュンでした。『江戸と北京』(1863年)に江戸時代末期の江戸の風景を描写、「日本のすまいは清潔、生け垣は美しく刈り込まれ掃き清められた庭に感心、もし花を愛する国民性が人間の文化の高さを証明するとすれば、日本の一般人が英国の同じクラスの人たちに比べてずっと優れている」と書き記しています。また、染井村の霧島園についても「世界のどこへいってもこんなに大規模に売り物の植物を栽培しているのを見たことがない。」とも述べています。このような国、そして植物園にも有難い元号で、当館でも愛でられる世界の花をもっともっと咲かせたいものです。

野梅一重のウメの木
野梅一重のウメの花

日本人の花好きを英国人が著す

ロバート フォーチュンの『江戸と北京』
染井の世界初、最大のガーデンセンター、霧島園

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