名誉館長の部屋

阪神間の牧野富太郎博士

2023.04.04

阪神間での牧野博士

NHKの朝ドラ「らんまん」が始まりました。植物学者の牧野富太郎博士の郷里高知、そして東京大学のあった東京での生活はよく紹介されています。また植物を追って全国を行脚されましたが、意外と知られていないのが阪神間での博士の足跡です。2008年には神戸の白岩卓巳により『牧野富太郎と神戸』が出版されていますが、牧野博士の阪神間での活動を殆ど紹介していない書籍もあります。博士の日記から阪神間での活動や環境を読み取り、時代を遡ると、私たちに身近な存在になります。博士の人生の中では阪神間は心地よい、人々に敬われ、慕われ、もてなされ、その上大借金をも肩代わりしてくれる救世主までが現れました。一方植物関係者に、博士の教えは浸透していくのでした。阪神間の各学校、研究会などでの博士による啓蒙活動が定着していきました。素敵な音楽をみんなで奏でるような「とき」が過ぎていったのでしょう。

 

宝塚市山本 1936年10月11日 写真:川崎家提供
宝塚市山本牡丹園にて 1937年4月29日博士76歳 15時半より公民館で講演会、夜は大和農園で座談会、川崎家提供
神戸市会下山の池長孟’(左)が博士の植物研究所をつくる、博士のさく葉標本と共に 川崎家提供

咲くやこの花館での展示会(~2023年10月1日)

このような牧野博士の阪神間での生活を紹介したコーナーを、咲くやこの花館内の高山植物室や回廊の一部に設けました。その中には牧野博士の弟子の灘校の川崎正悦先生が1934年、校庭に造ったロックガーデンで育てていた高山植物や山野草127種の半数程度の紹介を行っています。また灘校の校庭は一般には開放されていませんが、生徒さんに植物の大切さを知って貰うために、六甲高山植物園や兵庫県立人と自然の博物館の職員と一緒に丈夫な山野草約70種類を植え付けました。灘校の海保校長先生ご夫妻も高山植物にも詳しく約90年前のロックガーデンが蘇り自然教育の重要さをアピールされています。

1934年灘校内で牧野博士の弟子の川崎正悦灘校教諭が栽培していた山野草を紹介、灘校には1935年には牧野博士も訪問され、植物愛好家に講演をされた。
阪神間の牧野博士の紹介コーナー
神戸市会下山での植物研究所開所式風景 2018年11月

灘校で1934年に栽培されていた山野草

YouTube「ショクナナ」での阪神間の牧野博士紹介

阪神間での牧野博士の活動はYouTubeで見られます。約43分です。

タイトルは「牧野富太郎博士の足跡を辿る~阪神間で交流した人たちとの痕跡~」です。

 

NHKラジオ深夜便では4月26日4時~「牧野博士の阪神間での足跡」を須磨佳津江アナウンサーと私でお送りします。

 

NHK趣味の園芸2023年3月号には「灘校のロックガーデン」が紹介されています。

姫路市大塩(現在)のノジギクの群生の前で、牧野博士と灘校川崎教諭 写真:川崎家提供
灘校では朝鮮半島~中国北部に分布のタツタソウも植えられていた。
灘校では日本の高山植物、チングルマも植えられていた。試験栽培と思われる。

灘校の1934年に高山植物園と呼ばれた場所を蘇らす

日本のヤマシャクヤク、半日陰に見られはかなく散る様は侘び寂びを感じさせ茶席の花にも
灘校のロックガーデンに新規に海外から導入された山野草を植え付ける
4月にはアメリカのシレネ・カロリニアナなどが群れ咲く

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